朝、あくびをした瞬間に「カクッ」と顎が鳴った。固いお煎餅をかじろうとしたら、なんだか口がうまく開かない。気がつけば、食事中に左右どちらかでばかり噛んでいる。こうした小さな違和感を、「歳のせいかしら」「忙しいからかな」と見過ごしてはいないでしょうか。
こんにちは、文京区で坂本歯科クリニックを開業している坂本祥子と申します。1995年に東京医科歯科大学歯学部を卒業し、2000年からは地域の方々の口の健康とともに歩んでまいりました。私自身、若い頃に歯並びの問題で長年悩み、噛み合わせや顎の不調がいかに日々の生活を曇らせるかを身をもって知っております。
そんな経験もあって、診療室では「顎がおかしい気がする」とおっしゃる患者さんに、できるだけ専門用語を使わず、ご自身のお身体で何が起きているかを丁寧にお話しするように心がけています。
今回のテーマは「顎関節症」です。実は、顎の不調を抱える方の数はとても多く、何かしらの症状を経験したことがある方は人口の7〜8割にのぼるとも言われています。けれども、正しい知識を持って早めに対処すれば、決して怖い病気ではありません。
この記事では、顎関節症の基本的な知識からご自宅でできるセルフチェック、歯科医院での治療法、毎日のセルフケア、そして放置した場合のリスクまで、52歳の歯科医師として、また同年代の女性として、できる限り分かりやすくお伝えしてまいります。少しでも顎の不調を感じておられる方の心が軽くなれば嬉しく思います。
目次
顎関節症とはどんな病気?まずは基礎知識から
「顎関節症」と一口に言っても、その中身はさまざまです。まずは、この病気がどのようなものなのか、基礎からご説明いたします。
顎関節症の3つの主要症状
顎関節症の代表的な症状は、大きく分けて次の3つです。
- 顎関節やあごを動かす筋肉が痛む(顎関節痛・咀嚼筋痛)
- 口を大きく開けられない、口を動かしにくい(開口障害)
- 口を開け閉めしたときに音がする(関節雑音)
患者さんの多くは、「カクッ」「コキッ」「ジャリッ」といった音を最初に自覚されます。次に、あくびや大きな食べ物を噛んだときに痛みを感じたり、口を縦に大きく開けにくくなったりする方が増えてまいります。
ただし、すべての方にこの3症状が同時に出るわけではありません。たとえば「音はするけれど、痛みはない」「痛みはあるが、音はしない」というように、現れ方は人それぞれです。日本口腔外科学会によると、これらのうち1つでも当てはまり、日常生活に支障が出ている場合は、顎関節症の可能性を考えるとされています。
慶應義塾大学病院の医療情報サイトKOMPASでは、顎関節症の症状や原因について丁寧に解説されておりますので、より詳しい情報をお求めの方は慶應義塾大学病院KOMPAS「顎関節症」も参考になさってみてください。
患者数と性差〜女性に多いのはなぜ?
顎関節症の患者数を見てみますと、いくつかの特徴があります。
まず、性差です。女性の患者数は男性の2〜4倍と言われており、女性に圧倒的に多い病気です。年齢別に見ると、10代後半から増え始め、20〜30代でピークを迎えますが、私の診療経験では40代以降の女性も決して少なくありません。
なぜ女性に多いのか、はっきりした理由はまだ完全には分かっていませんが、関節や靭帯の構造、ホルモンの影響、ストレスへの感受性の高さなどが関係していると考えられています。私自身、52歳という年齢になりまして、患者さんの「夜、ちょっとしたことで眠れなくなって、朝起きると顎が痛い」というお話を、自分のことのように受けとめる場面が増えてまいりました。
また、顎の症状を持つ方は人口の7〜8割にのぼるとされていますが、そのうち実際に医療機関で治療を受けている方は7〜8%程度です。「気にはなるけれど、なんとなく我慢している」という方が、実は非常に多いのです。
顎関節症の5つのタイプ
日本顎関節学会では、顎関節症を症状の出ている部位や原因によって、次の5つのタイプに分類しています。
| タイプ | 名称 | 主な原因部位 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| I型 | 咀嚼筋痛障害 | 顎を動かす筋肉 | 筋肉の使い過ぎによる痛み |
| II型 | 顎関節痛障害 | 関節周囲の靭帯など | 顎関節そのものの炎症や痛み |
| III型 | 顎関節円板障害 | 関節円板(クッション) | カクカク音、口の開けにくさ |
| IV型 | 変形性顎関節症 | 顎関節の骨 | ジャリジャリ音、骨の変形 |
| V型 | その他 | 心身医学的要因など | 上記に当てはまらないもの |
このうち最も多く見られるのがIII型の顎関節円板障害です。顎の関節には「関節円板」というクッションのような組織があり、これが正しい位置からずれると、口を開けるたびに「カクッ」という音がしたり、開きにくくなったりします。
一方、最も重い症状を伴うのがIV型の変形性顎関節症で、骨そのものが変形しているため治療に時間がかかります。日本顎関節学会の顎関節症治療の指針2020では、各タイプに応じた標準的な治療方針が示されており、私たち歯科医師の診療指針となっています。
なぜ起こる?顎関節症の主な原因
顎関節症は、たった1つの原因で発症することは少なく、いくつもの要因が積み重なって起こります。原因を知ることは、予防や再発防止の第一歩です。
TCH(上下歯列接触癖)〜実は最大の原因
TCHとは「Tooth Contacting Habit」の略で、日本語にすると「上下歯列接触癖」と言います。簡単に言えば、無意識のうちに上下の歯を軽く触れ合わせている癖のことです。
ここで皆さん、ちょっと立ち止まってお口の中を意識してみてください。今、上下の歯はくっついていませんか?
通常、リラックスしているときの上下の歯は、1〜3mm程度離れているのが正常な状態です。歯が触れているのは、食べ物を噛むときと飲み込むときだけで、1日のうち合計しても20分にも満たないと言われています。
ところが、パソコンに向かって集中しているとき、スマホを覗き込んでいるとき、家事をしているときなど、無意識のうちに上下の歯が触れ合っている方が非常に増えております。実はこのTCHは、顎関節症の患者さんの8割以上に見られる習慣で、顎関節症の最大の要因の1つと言ってよい存在です。
軽い接触でも、長時間続けば顎の筋肉や関節に大きな負担がかかります。とくに50代以降の女性で、デスクワークやスマホ利用が長い方は要注意です。
食いしばり・歯ぎしり〜睡眠中の見えない負荷
食いしばりや歯ぎしりは、専門用語で「ブラキシズム」と呼ばれます。睡眠中に行われることが多いため、ご自身では気づきにくいのが特徴です。
歯ぎしりの力は、起きているときの噛む力の数倍に達することもあると言われています。重いダンベルを長時間持ち続けるようなものですから、顎の筋肉や関節がダメージを受けるのも無理はありません。
ご家族から「夜中にギリギリ音がする」と指摘された経験のある方、朝起きた時に顎がだるい、頬の内側に歯型がついている、こうしたサインがあれば食いしばり・歯ぎしりを疑ってみる必要があります。
姿勢と生活習慣の影響
姿勢の悪さも、見過ごせない要因です。
近年、スマホの普及によって「ストレートネック」と呼ばれる首の状態の方が急増しています。頭の重みは成人で約5〜6kg。これが前に傾くだけで、首から肩、そして顎にかかる負担は何倍にもなります。
私のクリニックにも、デスクワーク中心の女性で「頭痛と肩こり、それから顎の痛みが同時に出る」とおっしゃる方が多くいらっしゃいます。これらは別々の症状ではなく、姿勢を起点とした一連の不調であることも珍しくありません。
そのほか、次のような生活習慣も顎に負担をかけます。
- 頬杖をつく癖
- いつも同じ側で噛んで食事をする(片噛み)
- 横向き寝で同じ側を下にする
- 重い荷物を片方の肩でばかり持つ
- 楽器の演奏で顎を使う(特に管楽器・弦楽器)
- 長時間のスマホ・パソコン操作
精神的ストレス〜心と顎はつながっている
最後に、見逃せないのが精神的ストレスです。
緊張する場面で「歯を食いしばる」という言葉があるように、私たちは無意識のうちに、ストレスを顎で受けとめています。仕事のプレッシャー、家族の介護、子育て、更年期の不調。中高年の女性は、心身に負荷がかかる場面が増える時期でもあります。
ストレスがかかると交感神経が優位になり、筋肉の緊張が強くなります。その結果、TCHや食いしばりが起きやすくなり、顎関節症のリスクが高まる、という悪循環が生まれるのです。
「最近、心当たりがある」と感じた方は、後ほどご紹介するセルフケアの章を、ぜひ参考になさってみてください。
自宅でできる顎関節症のセルフチェック
顎の不調を感じたら、まずはご自宅で簡単なセルフチェックをしてみましょう。早めに気づけば、その分対処も早くなります。
開口量チェック(指3本テスト)
顎関節症の重症度を判断する、最もシンプルで分かりやすい方法が「指3本テスト」です。
やり方は次のとおりです。
- 利き手の人差し指、中指、薬指を縦にそろえる
- その3本の指を、無理のない範囲で口に入れる
- 痛みなくスムーズに3本入るかを確認する
この3本の指の幅は、おおよそ4〜4.5cm程度。健康な顎関節であれば、無理なく口に入る大きさです。
判定の目安は次のようになります。
- 指3本がスムーズに入る → 開口量はほぼ正常
- 指2本までしか入らない → 顎関節症の初期段階の可能性
- 指1本も入らない → 重度の開口障害の可能性
ただし、無理に押し込むと顎を傷める可能性がありますので、痛みを感じたらすぐに止めてください。
音と痛みのセルフチェック
口を開け閉めしたときの音と、その際の感覚もチェックしましょう。
まず、両方の耳の少し前(顎関節の位置)に、人差し指と中指をそっと当てます。その状態で、ゆっくり口を開けたり閉じたりしてみてください。
確認するポイントは次のとおりです。
- 「カクッ」「コキッ」という単発の音がする
- 「ジャリジャリ」「シャリシャリ」と擦れる音がする
- 開け閉めの途中で引っかかる感じがある
- 口を開けるとき、左右の動きがバラバラに感じる
- 顎関節の周辺がズーンと重く感じる、痛む
「カクッ」という単発の音は関節円板のずれを示唆し、「ジャリジャリ」という持続音は骨や軟骨の変形が進んでいる可能性を示します。音だけで他に症状がない場合は治療の必要がないこともありますが、痛みや開きにくさを伴う場合は注意が必要です。
日常症状チェックリスト
普段の生活の中で、次のような症状はありませんか。3つ以上当てはまる方は、顎関節症の可能性を考えてみる価値があります。
| 項目 | チェック |
|---|---|
| 朝起きたときに顎がだるい、痛い | □ |
| 大きな食べ物(バーガー、リンゴ等)が食べにくい | □ |
| あくびや笑った瞬間に顎が痛む | □ |
| 食事中、片方ばかりで噛んでいる | □ |
| 慢性的な頭痛・肩こりがある | □ |
| 耳の前あたりがズキッと痛むことがある | □ |
| 家族から歯ぎしりを指摘されたことがある | □ |
| 集中しているとき、上下の歯が触れていることが多い | □ |
| 鏡で見ると顔の左右が非対称に感じる | □ |
| 口を開けるとき、まっすぐ開かない | □ |
このチェックはあくまで目安です。当てはまる項目が多いから即「顎関節症」というわけではありませんが、ご自身のお身体を観察するきっかけにしていただければと思います。
専門医受診の目安
セルフチェックの結果を踏まえて、「どの段階で歯科を受診すればよいのか」、迷われる方も多いと思います。私が日々の診療で患者さんにお伝えしている、受診の目安をまとめます。
- 痛みが1週間以上続いている
- 食事が不自由で、日常生活に支障が出ている
- 口が指2本分も開かない
- セルフケアを2〜3週間続けても改善しない
- 顎の症状とともに頭痛、めまい、耳鳴りなどがある
- 「ジャリジャリ」という持続的な音がする
「音だけ」で他の症状がなければ、必ずしも治療を急ぐ必要はないとされています。しかし、痛みや開きにくさがある場合、放置していても改善しない可能性があります。
受診先は、歯科口腔外科や顎関節症の治療に対応している歯科医院がおすすめです。私のクリニックにも、内科や整形外科を回ってから「結局、歯科だったのね」とおっしゃる患者さんが時々いらっしゃいますが、最初から歯科を選んでいただく方が、ずっと早く適切な治療にたどり着けます。
歯科医院での顎関節症の治療法
「顎関節症の治療と聞くと、なんだか大ごとに感じる」という方も多いと思います。けれども実際の治療は、患者さんのお体への負担を最小限にする「保存療法」が基本です。
検査と診断方法
歯科医院では、まず丁寧な問診から始まります。いつから、どんな症状があるか、生活習慣はどうか、心当たりのあるストレスはないか、こうしたお話を伺うことで、原因のあたりがついてまいります。
その上で、次のような検査を組み合わせて診断していきます。
- 視診・触診:顎関節や筋肉に直接触れて、痛みやしこりを確認
- 開口量測定:上下の前歯の間の距離を計測
- 関節雑音の確認:聴診器を使って、開閉時の音を確認
- パノラマX線:顎全体の骨の状態を確認
- MRI検査:関節円板や軟部組織の状態を詳細に確認(必要時)
- CT検査:骨の変形を立体的に確認(必要時)
軽度の顎関節症であれば、X線検査までで診断がつくことが多いです。MRIやCTは、長期間症状が続く場合や、IV型の変形性顎関節症が疑われる場合に行います。日本口腔外科学会の口腔外科相談室「あごの関節の音がする」では、診断の流れがわかりやすく解説されています。
スプリント療法(マウスピース療法)
顎関節症の治療として最も広く行われているのが、スプリント療法です。
「スプリント」とは、患者さんお一人おひとりの歯型に合わせて作る、透明なプラスチック製のマウスピースのこと。主に就寝時に装着していただきます。
スプリントには、次のような効果が期待できます。
- 食いしばり・歯ぎしりの力を分散させ、顎関節への負担を減らす
- 噛み合わせを一時的にリセットし、筋肉の緊張をゆるめる
- 関節円板のずれを軽減し、痛みや音を和らげる
治療期間は、症状の程度によって3か月〜1年程度です。「マウスピースを入れて寝るのは違和感がありそう」とおっしゃる患者さんも多いのですが、1〜2週間ほどで慣れる方がほとんどです。
ただし、スプリントは万能ではありません。装着するだけで治る、というよりも、後述するセルフケアや生活習慣の改善と組み合わせて、初めて効果を発揮するものとお考えいただくとよいでしょう。
理学療法(マッサージ・ストレッチ・温罨法)
理学療法は、顎周囲の筋肉のこわばりを和らげ、関節の動きを良くする治療です。歯科医院では理学療法士が指導してくれる場合もありますし、ご自宅で行えるシンプルな運動を指導することもあります。
代表的な内容は次のとおりです。
- 咬筋・側頭筋のマッサージ
- 開口ストレッチ
- 温罨法(温かいタオルで顎を温める)
- 姿勢矯正のエクササイズ
理学療法の良いところは、副作用がなく、ご自身でも継続できる点です。
認知行動療法と薬物療法
認知行動療法は、TCHや食いしばりといった「無意識の癖」を意識化して、修正していく治療です。たとえば、お部屋のあちこちに「歯を離す」と書いた付箋を貼って、目に入るたびに口元を緩める、といった地道な取り組みが中心となります。
慶應義塾大学病院KOMPASによれば、顎関節症の治療では、認知行動療法に基づくセルフケア指導が重要視されているとのこと。私のクリニックでも、患者さんに合わせた行動修正をご提案しています。
薬物療法は、痛みが強い場合に補助的に行われます。
- 消炎鎮痛薬:痛みと炎症を抑える
- 筋弛緩薬:筋肉のこわばりをゆるめる
- 漢方薬:体質に合わせて処方される場合もある
これらの薬は、根本的に顎関節症を治すものではなく、症状を和らげながら他の治療を進めるための補助です。長期間漫然と飲み続けることは推奨されません。
なお、外科的手術は最終手段で、保存療法を尽くしても改善せず、日常生活に重大な支障が出ている場合に限って検討されます。実際、手術が必要になる方は顎関節症患者全体のごく一部です。
自宅でできる顎関節症のセルフケア
歯科医院での治療と並行して、ご自宅で続けていただきたいセルフケアをご紹介します。実は、顎関節症の改善には、患者さんご自身の毎日の取り組みが何より大切です。
咬筋・側頭筋のマッサージ
顎の筋肉のこわばりを和らげるマッサージは、入浴中や入浴後の血行が良いタイミングがおすすめです。
咬筋(こうきん)のマッサージ
咬筋は、エラの部分にある大きな筋肉です。
- 4本の指を、エラの少し上に当てる
- 痛みのない範囲で、ゆっくり円を描くようにほぐす
- 30秒〜1分程度、左右両側で行う
側頭筋(そくとうきん)のマッサージ
側頭筋は、こめかみのあたりにある筋肉です。
- 人差し指と中指を、こめかみに当てる
- やさしく円を描くように、筋肉をほぐす
- 30秒〜1分程度、左右両側で行う
ポイントは、強く押しすぎないこと。「気持ちいいな」と感じる程度の力加減で続けることが大切です。
開口ストレッチ
開口ストレッチは、顎の動きをスムーズにする運動です。日本顎関節学会も、軽度の顎関節症の改善に有効としています。
- こめかみに両手を軽く添える
- 顎を左右にゆっくり1回ずつ動かす
- 顎を前にゆっくり突き出す
- 大きく口を開ける(痛みのない範囲で)
- ゆっくり口を閉じる
この一連の流れを10回繰り返して1セット、1日5セットを目安に行ってみてください。痛みが強い時期は無理をせず、症状が落ち着いたら少しずつ取り組みましょう。
TCH改善トレーニング
先ほどお話ししたTCH(上下歯列接触癖)の改善は、顎関節症の治療において、非常に重要な位置を占めます。
「歯を離す」を意識する習慣づくり
具体的には、次のような工夫が有効です。
- パソコンのモニター、スマホのケース、冷蔵庫など、目につく場所に「歯を離す」と書いた付箋を貼る
- 1日に数回、深呼吸とともに口元を緩める時間を作る
- スマホのリマインダーを1〜2時間おきにセットして、その都度確認する
正しい安静位
口を閉じている時の正しい姿勢は、唇は閉じていても、上下の歯は1〜3mm離れている状態です。舌先は、上の前歯の少し後ろの「スポット」と呼ばれる位置に軽く触れているのが理想です。
最初は意識しないとできませんが、3か月ほど続けると、無意識のうちにこの状態が保てるようになってまいります。私自身、診療中につい食いしばってしまう癖があったのですが、付箋作戦を続けて、ずいぶん改善した経験があります。
生活習慣の見直し
最後に、毎日の生活で気をつけていただきたいポイントをまとめます。
- 頬杖をつかない
- 食事は左右両方の歯でバランス良く噛む
- 横向き寝の場合、左右を交互にする
- スマホやパソコンは目線の高さで使う
- 重い荷物は片方の肩に偏らせない
- 硬いガムを長時間噛まない
- ストレスをため込まず、適度に発散する
- 質の良い睡眠を心がける
どれか1つでもお試しいただくと、顎の状態は少しずつ変わっていきます。「全部やらなきゃ」と気負わずに、できそうなものから始めてみてくださいね。
顎関節症を放置するとどうなる?
「症状はあるけれど、まだ我慢できる」という方も多いと思います。けれども、顎関節症を放置することには、思いがけないリスクが潜んでいます。
慢性化のリスク
日本顎関節学会のデータによれば、約7割の患者さんは1年以内に症状が落ち着くとされています。しかし、残りの3割は1年以上症状が続いてしまいます。
慢性化すると、治療期間が長くなるだけでなく、「痛みがあるのが当たり前」という状態に脳が慣れてしまい、痛みに対する感受性が変化することがあります。これが「慢性疼痛」と呼ばれる状態で、治療の難易度が一気に上がります。
早めに対処すれば短期間で済むはずだったものが、放置によって長引いてしまう、というのは、患者さんにとっても私たち医療者にとってもつらいことです。
全身への影響
顎は単独で機能しているわけではなく、首、肩、背骨、そして全身とつながっています。そのため、顎関節症を放置すると、次のような全身症状を引き起こすことがあります。
- 慢性的な頭痛、片頭痛
- 肩こり、首のこり
- めまい、耳鳴り
- 自律神経の乱れ
- 不眠
- 噛み合わせの悪化による消化不良
- 顔の左右非対称(フェイスラインの歪み)
「肩こりがひどくて整形外科に通っているけれど、よくならない」という方の中に、実は顎関節症が原因の方がいらっしゃいます。私のクリニックで顎の治療を進めると、肩こりまで楽になった、というお声をいただくこともしばしばです。
重症化と治療の長期化
最も懸念されるのが、IV型の変形性顎関節症への移行です。
関節円板のずれ(III型)の段階で適切に治療しないと、関節円板が穿孔したり、骨そのものが変形してしまうことがあります。骨の変形は、原則として元に戻すことができません。
重症化すると、口がほとんど開かなくなる「開口障害」が起きたり、骨同士が癒着して、最終的には外科手術が必要になるケースもあります。手術を回避するためにも、早めの受診が何より大切なのです。
「ちょっと気になる」程度のうちに歯科医院を訪れていただければ、簡単なセルフケアの指導だけで済むことも多いものです。どうかご自分のお身体を、後回しにしないでくださいね。
まとめ
顎関節症は、現代を生きる多くの方が経験する、身近な不調の1つです。とくに中高年の女性に多く見られ、ストレスや生活習慣の影響を受けやすいことから、まじめに頑張っていらっしゃる方ほど、知らず知らずのうちに症状が進んでしまう傾向があります。
この記事でお伝えしたかったポイントを、最後に整理いたします。
- 顎関節症の主症状は「痛み」「開口障害」「関節雑音」の3つ
- TCH(上下歯列接触癖)が最大の原因の1つで、患者の8割以上に見られる
- 自宅で「指3本テスト」や音・痛みのセルフチェックができる
- 治療はスプリント療法、理学療法、認知行動療法など、保存療法が中心
- 毎日のセルフケア(マッサージ、ストレッチ、TCH改善)が改善の鍵
- 放置すると慢性化や重症化のリスクがあり、早めの受診が大切
私たち歯科医師の役割は、診断や治療だけではなく、患者さんが「自分のお身体と上手に付き合っていく」ためのお手伝いをすることだと考えています。顎関節症は、ご自身の生活を見直すきっかけにもなり得る、不思議な病気です。
「歳のせいかな」「気のせいかな」と見過ごさず、どうかご自身のお身体の声に耳を傾けてみてください。少しの変化に気づくことが、これからの人生を快適に過ごすための、何よりの近道になります。
私の診療室の窓辺には、季節の草花を欠かさず飾るようにしています。和菓子作りも、草花を育てることも、時間をかけて整えるという点で、お身体の養生によく似ているのです。顎関節症の改善も、決して一朝一夕にはいきません。けれども、毎日の小さな積み重ねが、やがて確かな健康という花を咲かせます。
この記事が、皆さまのお口と顎の健康を守る、ささやかなきっかけになれば嬉しく思います。